異色の作家が、本で親鸞とヤクザを戦わせた理由
向谷匡史氏インタビュー③
■ヤクザに突っ込ませて、仏教の教義を際立たせる
そして、もうひとつ。どの仏教の本にも良いことが書いてあるんですよ。つまり読み手は一方的に学ぶんですよね、“諸行無常ってこういうことか”と。しかし、その本には何の突っ込みもない。「嘘つけ、そんなことはないだろう!」っていうのがない。これはやはりつまらないだろうと思うのです。経済書もそうですよね。一方通行で学ぶばかり。なので、本書の説明文で突っ込むのではなく、ヤクザに突っ込ませることで仏教の教義が際立ってくるのではないかという、そんな狙いもありました。
――その時点では、読者にはどのようなことを伝えたいと考えたのですか?
仏教は人間の生き死にを扱う。これに勝る面白いものはないのですよ。人生そのものではないですか。だからちょっとかじってみてくださいよとね。興味を持ったら専門書は腐るほどあるわけですから、そちらに行ってほしい。いわゆるキャッチですね。盛り場のキャッチ。ただ、それが僧籍のない人間が書いても整合性がないですから、私の立ち位置はそこにあると自覚しています。
――親鸞を主人公に据えたのは?
私自身が浄土真宗で、その開祖であったということと、親鸞は人間の弱さや煩悩を認めている人なんですね。煩悩は滅することができないと認めたところで、ではどう生きるかということを説いたのです。これは現代の社会においても適用できます。誰もがコンプレックスや弱点を持っていて、自分の今のありようを認められないところに苦が生まれるのです。
――弱点に正面から向かい認めるのって勇気がいりませんか。
昔、脊柱管狭窄症という病気にかかったときに、杖を突いて歩くことになったのですが、その時に自分は弱いのだ、けんかしなくていいんだと自覚したら急に楽になりました。周りに人も優しくしてくれますしね。年をとるのもそう。
年寄りは頑張らなくていいんです。30~40代の人なら負けられない、一生懸命頑張っていこうと考えるでしょうけれど、60代になって、もうこれ以上、上がっていかなくていいんだと思うと楽になるし、不思議に仕事も充実してきます。
〈第4回に続く〉
- 1
- 2